まだおぼろげにしか言語化出来ていないこの思いを、最後まで書き終われば、何かいいものが書けるのではないか?と、つらつらと深夜にキーボードを打ち始めた。
このことについて、何を書くかも決めておらず、また、書いてどうにかなるとも思ってないのだけど。
この掌編「庭師は地平に林檎の苗を」に出てくるひょろひょろと冴えないヘンな男────もう昔の掌編なのでこのエッセイでは簡単に内容に触れつつ話を進める。
note.mu
もし、「まだ読んでないから内容とかちらつかせんな。」というような方がいらっしゃいましたら、400字詰め原稿用紙6枚半程度のあっさり読める掌編ですし、先にお読みになられてから、「続きを読む」を押して下さいね。
※直で飛んできた方には続きを読むボタンが表示されないんで、もう少し下に下げておきます。
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主人公ユーノの前に現れる、謎のぼさぼさ男。
こいつは藤子Fワールドでいうフニャコフニャ夫先生の位置の、作者をカッコよく(?)書いたような感じのキャラなんだけど、この人の七つ道具に「青と翠の液体がぽたぽたと行ったり来たりするタイプの美しいオイルタイマー」というアイテムが出てくる。
はー…きれい。魔力溜まる。 pic.twitter.com/xHL9BQtAvE
— mmsk (@mmsk404) May 27, 2018
知らなかったことだけど、オイルタイマーというのは一つの呼び名で、wikiによるとざっと数えただけでこのぐらいは呼び方がバラけているそうだ。
液体時計
水時計
油時計
リキッド時計
オイルタイマー
ウォータータイマー
オイルクロック
ウォータークロック
カラーモーション
ドロップモーション
オイルモーション etc…
https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/41240.html
水時計と呼ぶのが一番分かりやすいと思うので、今後は水時計と呼ぶ。
掌編の後書きにも載せているけど、このアイテムは実際のフォロワさんからいただいたわたしの宝物で、青の液体がぽよ太郎。翠がぽよ次郎という。
わたしの物語には何故か青と翠がよく出てくる。実はそう推しの色でもないのに書くと必ず出てくる。自然の風景や、植物の物語が多いからだと思う。
プレゼントに添えられた手紙にはこうあった。
天使か。
園芸の記事が多いのもあり、”緑の人”(植木さんだけに)。というもったいないようなイメージで受け取ってくださる方が増え、とてもうれしい。ありがとうございます。
ぽよたちはやってきた日から、わたしの創作の手伝いをしてくれるようになった。
いちいち報告するものでもないし、気を遣わせるかもなぁと思い、そんなにweb上では語ってなかったんだけど、作業中の喫茶店に、散歩に、寂しい夜に、結構あちこち一緒に歩いた。 疲れた時に、ぼーっと眺める。そういう相棒。
余談だけど、このインスタで言ってる最初くそみたいにつまらなかった物語。まだ同じ話を描いている。担当氏がひたすら待ってくれているのだ。もう少しでネームをまとめ終わる。格段に面白くなったと思う。
───話は戻る。去年のインスタですでにこんな事を言っていた。
この2018年9月30日時点で、少し兆しが見えていたようで、ひっくり返しても、なかなか色水が落ちてこない。落ち方がおかしい、詰まる。そんな症状に悩まされるようになった。
ひっくり返し過ぎたんだろうか?冷蔵庫で冷やしてみよう…治らないなぁ。困った…。素人考えでどんなに考えても原因が分からない。 検索結果によると、どうも治せないやつみたいだ。
みんなこういうのは壊れたら捨ててしまうみたいだった。わたしは捨てない。
そしてこの現象は劣化っていうみたいだった。わたしは劣ったなんて思わない。ぽよたちはちょっと休んでるだけだ。色もきれいだし。
そうこうしてるうちに引っ越すことになった。ぽよたちには、しばらく宝箱の中で寝ててもらうしかなく、東京に到着して数か月は家を片付けて、まともに暮らしを機能させる方に時間を割いた。
本当に宝箱宝箱してる宝箱を愛用している。たまに体がちいさいともだちに中身を分けている。
やっと片付け終わって、宝箱から出したら、もう色水が落ちてこない。振ると少しずつ落ちてくるぐらい。う”あ”~ってなった。
そしてどう振っても落ちてこないほんの少しの翠色。こいつだけまるで時を動かしたくないから踏ん張ってるみたいな奴がいることに気づいた。
ぽよ次郎のこの翠の、ほんの少しの色水。こいつはどうして踏ん張ってるんだろう?
別にニンゲン界の考え方に沿う必要もねぇなぁってなにかにつけ思うんで、自分の世界観で考えた。
わたしは壊れた、なんて思わない。きっと理由があるはずだ。ほんとになにか時を止めてでも、護っていたいような、こいつにとっての大切な瞬間があったんだろうか?
いったいどの時を止めようとしてるんだろう?
ぽよ次郎のことなんだから、わたしに分かるわけないのだけど。
それでもいっぱい空想した。
わたしの創作の手伝いをしてる途中、なにかぽよ次郎が胸打たれるような瞬間があって、その一瞬を止めててくれたらいいのに、と思った。
しかしそれはわたしの希望というだけだから、ぽよにはあまり関係のない話だ。
この”ぽよ次郎になにか溜めておきたい瞬間があるのでは?”というのが、そもそもわたしの世界観や、感傷が入り乱れてるので、どこまでわたしがぽよの時計生《じんせい》に関与するか。というのは、まぁわたしのさじ加減ひとつで決まることなんだけど、
創造主というのは自分の星に生まれた生命の、全部全部が自分の自由になるなんて、思っていてはダメなのだ。
わたしたちがこの地球で、自分の意思を持ってして、無数の選択肢を選び────空を仰ごうか、左隣りの女子に消しゴムを借りようか、疲れたらひと休みしようか、めんどくさいけど今日も闘おうか、それとも遺書を書こうか……
───案外自由に行先を決定出来るように。
大げさに聞こえるだろうけど、わたしは創作とか創造って、つまりそういう事だと思っていて、だから家財道具達にも同様に接する。
ある日のぽよ次郎が見かけた、おいしそうなメロンパンの思い出かもしれない。わたしには関係がないかもしれないし、あるかもしれない。
答えがない問答をずっとああでもないと考えていくのは、きっと一生やってても飽きない、わたしの好きなことだ。翠も青も落ちてこねぇなぁってため息をつく都度、この水時計の時溜まりの空想をして遊ぼうと思う。
これを贈ってくれたフォロワさんの、美しい村の、群青の下、広がる田園風景。木々たちの翠の思い出かもしれない。そんな素敵な思い出なら、もっともっと詰まったっていいんだよ。ばんばん溜めていこうや。
ぽよたちにとって、最高の瞬間が、このほんの少しの色水に、詰まっていたらいいなぁと思う。
例の掌編に登場するぼさぼさしたわたしの分身は、こういう靄の中にきらきらと漂う何かを、苗に託したんだろうかなぁって、このエッセイを書き終えて、なんか思った。
まとまったので終わる。
▼この記事を書いた創造主▼
▼これにも出てくるぼさぼさ男▼
▼あ、これにも少し登場してますね▼
▼わたしの世界観はわたしがよくわからんうちににじみ出ているらしい▼
昨日は岩塩とオイルタイマーと一緒に寝たので、さみしくなかった。なんか岩塩なら俺のそばで寝てるよ。みたいな画像になってるけど。 pic.twitter.com/Bwf9qEIfZL
— mmsk (@mmsk404) 2019年8月20日
たまに一緒に寝ている。