そろそろ介護無しで顔でも洗えそうだな。と思ってたとこで、今度は手を痛めてしまいました。
掴まり立ちしたり、方向転換をする時に、いつの間にか手首を酷使していたようで、マグカップを持っても、アイテテテと落としそうになるようになってしまい、何もできない。結局、実家でしばらく療養することになった。
わたしは前までこういう心配させるような事を極力言わないよう、言わないように気をつけていて、言ったとしても、すごく悪いことをしてる気持ちになって、余計体調に触る感じでした。
しかし今回はあえて「こういう状態です」とわかるところに書こうと思って、意図的に書いています。今日も天井を見上げながら、つらつらと考えをまとめようと思います。今はスマホから書いてup出来るの、ほんと便利ですね!
前、↓この記事で軽く触れた「描けなかった時期」にあれこれと自問自答しました。原因はたまごろうのことだけではなかったので。
とにかく机に向かって鉛筆を動かすのだけど描けない。手はペンが持てるぐらいの痛みだ、描けるはずだ、甘えるな。とずっと机に向かって、とにかく1日線一本でいいから引くんだ。ともがいてもがいて、ある日フッと
「描けないのではない。描きたくないんだ」
と気づいて、一旦筆を置くことにしました。今年の三月ぐらいだったでしょうか。連載用の第1話が一年経っても通せなくて、バジル一家のたまたろうたまじろうが丁度連続で還ってしまった時期で、色々とムリだった。
とにかく描きたくなるまで、出来ることをやるしかないよな。と思って、今まで漫画を描くために当てていた時間を、全部小説を書く時間に当てることにしました。
小説は手も痛くないし、書いてて楽しいだけなので、せめてこの作業をすることに、罪悪感を覚えたり、自分を責めることはやめなくてはと思った。一つ投げ出したら、少しだけ楽になりました。
筆を一旦置いて3日ほど経った頃でしょうか、髪の長い10歳ぐらいの少女の夢をみました。頭に白い花をつけていて、荒れた花壇の前で途方にくれて泣いているような夢でした。
こいつはわたしの心象風景にたまに出てくる、"心の庭"を護ってる少女で、多分わたしのインナーチャイルドというか、自分自身の本音の象徴だろうな。というのは、前々から自覚があって、そういえば今までもこいつがスネると、描けなくなってたような感じだ。ということを思い出しました。
「インナーチャイルド」とは、「内なる子供」と訳されますが、具体的には子供時代の頃の記憶や心情、感傷の事を指します。子供時代の経験が、大人になった自分に多くの影響を与えていることはご存知でしょうか?
今さぞかし不思議な事を言ってるんだろうなと思うんだけど、わたしは深く悩めば悩むほど、絵面やイメージでその悩みが視えるタイプなので、わたしが普段からよく書いてる詩は、そのイメージを人が読めるカタチに直したものだったりします。
前置きはこんなもんで、話を戻す。
描けない時期、この少女と何度も何度も対話しました。うちのツイッターをフォローしてる方は、わたしが急に手帳に描いた暗い絵をツイッターに流し始めた時期があったのを何となく覚えてるんじゃないでしょうか?
起きてから、夢の中の少女が何を言いたかったのか、とりあえず絵で描いてたらわかるかもしれない。と思ったので、描いてみました。
ううん、全部もらっていいんだよ。 pic.twitter.com/A14zpFMcd7
— mmsk (@mmsk404) 2017年3月7日
案外すらすら描けた。描いた感想、相当我慢してたような感じがしたのと、多分連作になるな。。と思ったのでこいつとの対話に物語のようなタイトルをつけることにしました。
「護りの森の庭守」おおお?カッコいい。
↓モーメントにまとめています。
こうして描きたくなるような器を作ってやった方が、なんでも考えをまとめやすいのだと感じます。
このエッセイの本題はこの庭守の少女と話し合った内容ではなく、別のとこなので端折りますが、このわたしの本音の象徴であろう"庭守"から言われたことを簡単にまとめると
「あなた(まみすけ)が我慢したり、無理をしたり、平気なフリをするたびに"ワタシ"が傷つくので、せめてそのことをわかっとけ」
意訳すると多分こんな感じ。だいぶ言われたし、だいぶ泣かれた。
わたしが傷ついたことなんかを、我慢し続けて、まるでなかったことのように忘れてしまったとしても、ほんとの自分はずっとどこかで抑圧され続けて、満身創痍で。たまにはほんとの自分の気持ちを思い出してやることが大切なんだという単純な話でした。
ある日のこと庭守の少女は散々わたしの前で不満を訴えたあと「あなたは剣を捨てられない」という言葉を残して、どこかへ隠れてしまった。
#護りの森の庭守
— mmsk (@mmsk404) 2017年3月24日
どうしてあなたは"闘う"の?闘わないと、息すら出来ない?わたしに水を頂戴よ。畑を一緒に育ててさ。ふたりで笑って暮らそうよ。
ーーその方がいいかな。
嘘ばっかり。
「あなたは…… pic.twitter.com/KDxgooNVlJ
「剣」は多分"わたしの武器"「ペン」という意味かなと思う。もう一回ぐらい出てきそうだなと思うんだけど、なかなか出て来ないまま3ヶ月ほど経ってしまいました。
勿論我慢することを全部投げ捨てたら、それは社会ではやっていけなくて、平気なフリだってもちろん必要で、この世界では、人と合わせたり協調性が必要です。
わたしはむしろ普通の人よりは自由にしてる方だと思ってるんだけど、そういうのはそもそも人と比べるものではなく…
自分より我慢強いような人の計量カップで、自分のほんと気持ちを測ってすりきり位置まで減らすようなことをして誤魔化すもんじゃないよな。と。
だってそれが自分の気持ちだ、自分の計量カップで測って、そこから自分専用の対策を立てないと、息が切れてしまう。自分は誰かではなく自分なんだから。デカイ計量カップを押しつけてくる輩の話は、心の中では横に置く。
自分の心のことは自分で測ってもいいという単純な話が通じない世の中だけど、人に合わせたりしても、それが"フリ"であるとせめて自分でわかっておく必要があるように思います。
外では演じてもいいけど、内に還る時は、傷つけた小さな自分に謝ったり、抱きしめたり、この現状をどうすればマシに出来るか、話あうことで、少しは変わっていけるんではないかと。
「我慢」というのは何はともあれ、自分的に苦しい事だと自覚して、向きあって折り合いをつけていく。
で…冒頭に戻りますが、庭守の少女とわたしはひとつ約束をしました。
どうしても体が不調な時や、どうしても心が無理な時は、とりあえず周囲の人に状況を伝えるね、と。
あんまりしょっちゅうだと鬱陶しいですし、不快なものなので、1人で抱えるのは限界なのかな。という時だけ伝えようかなと思います。
つらいことをつらいと伝えることは心にとってとても重要で、状況を誰かが知っててくれるだけでも、楽になる感じだ。本当のわたしが、これを書くことで少し泣き止んでくれないだろうか?という狙いがあり、このエッセイをまとめました。
わたしはとにかく今は自分で自分を大切にして、少しでも"わたし”を笑わせたいのです。
自分を大切に出来なければ、人も大切に出来ないものだから。
聞いてくれて、ありがとうございます。
≪後日談≫
庭守が、また隠れて、1年弱ほど過ぎた。もう新しい絵馬を書かなきゃ。なんにもできなかったな。何を書こう?「頑張る」かな…?って思ってから、やっと意味が分かった。言葉で知ってても、意味が分かってなかったら、だめだった。
近くて遠い、遠くて近い、でこぼこの空。#護りの森の庭守 pic.twitter.com/mx8kHt9hJe
— mmsk (@mmsk404) 2018年1月4日
ごめんね、まずは二人で、また苗を育てていこう。
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