ひよこ9.4切符!!

こちらは主に日常の話とノートの切れ端などをup。創作活動のPRなどは「まみの木荘3.20号室」に分けてあります。

みっともないわたしのお話。

今ちょっと持病の腰を悪くして、寝込んでいるんですが、天井を見上げながら、劣等感の話でも書こうと思う。

 


わたしは子どもの頃から体があちこち痛むのがコンプレックスの根源だったりします。もちろん劣等感はこれだけではなく、それこそ山のように抱えていて、今日は「嫉妬」の話でも。

 

 

とんでもない長文になってしまったけど、これは読む人がいなかったとしてもこのまま出します。多分こんなに辛かったと言う文意で書かれてるものではないんじゃないかと思うので。

 

 

 

わたしが東京で劇画の先生のアシスタントの仕事を見つける前、他のバイトをしながら1週間に一度ぐらいの頻度で、滅茶苦茶でもなんでもカタチにして、ネームをS誌に持ち込んでたんですが、そこまで通うとさすがに編集さんに覚えてもらえるんで、アシスタントやってみない?と声がかかるようになる。

 

 


当時わたしは人物がほんとに描けなくて、背景もパースは取れるけど漫画表現出来てるかというと全然ダメで、ペン入れも全くダメで。トーンも汚くて、ただむやみに情熱がある人という位置で、ベタと枠線のスタッフとしてN田先生の職場に呼ばれた。

 


駅に着いて方角がわからずオロオロしながら先生に電話をかけてる途中で、すごく脚がすらっとしてて、まるでアイドルのようなお姉さんが通り過ぎて行って、つい振り向いて「ああいうのは「足」じゃなくて「脚」の方の漢字の脚だな…」と思ったのをよく覚えています。他の通行人の男性も振り向いてて、わたしはすぐに見てないフリをした。

 


職場に着くと修羅場の2日前の様相で、江口洋介を若くしたような感じのシュッとしたカッコイイ先生が、小さいけどフローリング張りのこじゃれたオフィスで「ヨロシク!」とフレンドリーな感じで握手を求めてきて、わたしは早速帰りたいような気持ちになった。


漫画家っていうともっともっさりしてて…無精髭も生えてないとおかしい…。まさかこんなエルフみたいな出で立ちの人が…!と急に自分がみすぼらしく、恥ずかしく思って、穴があったら…どこか穴はないか…掘らなきゃ…とほんとに思った。

 

 

当時わたしはこんな風に勝手なレッテルを張って、自分より上か下かでしか判断出来ないようなクズで、上か下かで言ったらそんな風に比べて見下そうと必死な時点で、最底辺だろうよと今にして思うんですが、当時はもういっぱいいっぱいだった。

 


枠線すら失敗しながら、必死こいて作業していると、玄関のドアが開く音とともに「◯◯番(※トーンの種類の名前)が何枚しかなかったですよー」とよく通る女性の声が聞こえた。


(あっ…さっきの「脚」の子…!)

 

入るなり彼女はニコッとわたしを見て「今日来られるって話の助っ人さんですね」と爪が整えられた白くひんやりとした手で握手を求められました。先ほど見かけたのは画材の買い出しに行ってる途中だったようで、このスタジオのスタッフさんだった。

 


先生がさっと手をむけて「この子うちの美人アシのT子ちゃん」と紹介して、ニッと笑う。わたしはもうなんだかわからないけど、笑うしかなかった。自分と比べて死にたかった。

 


調理師を一応取得してるので、メシスタントとしても雇われてたんだけど、コンロが一口しかないタイプのキッチンで、緊張してもたもたしてるうちにパスタは伸びて、べろべろのスパゲッティになってしまった。

 


スタッフの方々は一番調理技術に期待していたようだったのに、口に含むなり「あ"〜…」「まぁ…」「ねぇ…」という空気で、針のむしろ。

 


その日は明け方まで、ベタをはみ出したりして、ただ足を引っ張るだけ引っ張って、8000円も頂いて帰った。家に帰って泣いてしまった。そして何故だかT子ちゃんが憎く感じた。むしろ一番優しくしてくれたT子ちゃんだったのに。

 


悔しくて、すぐにネームを描きあげて、4日後にはまた持ち込みにいった。その時は意識下に潜ってて、わかってなかったことだけど、多分わたしは、T子ちゃんより早くデビューして、上に立ちたかったんだろうと思う。

 

担当さんはネームを読みながら「植木さんの漫画は不思議すぎるんですよね…。」というような毎度毎度の説教をしてくれながら「初アシはどうでした?」と雑談タイムにスライドした。


(どれを報告しても惨めになるよな…。)と思い、何故かわたしは「き、綺麗な女性スタッフさんがいてびっくりしました…!」と口に出したくもなかったであろうT子ちゃんの話をした。

 

 

この時のわたし以外でも、こういう方、結構いるよなと思うんですが、この心理なんなんだろう。話したくもないような話題にあえて踏み込むのってマゾなんだろうか。それとも否定してくれるの待ちなんだろうか。なんにせよ、嫌だと思うものに自分から踏み込んで顔をしかめてるだなんて、そりゃ生きづらいだろうと思う。

 

 

担当さんはニヤっと笑って(あの子いいよね!)と言うような感じで無言で軽く相槌を打った。


別に担当さんモドキは「おまえは美人でもないしアシスタントもやれてないクズだーー」なんて言ったわけでもなんでもないのに、家に帰ってまた泣いて、また「不思議すぎるんだよね」という選評しかもらえないようなネームを寝ずに描いて持って行った。

 


当時のわたしのネーム生産量は呆れてしまうぐらい多くて、なにか一つでも飛び抜けたものがないと生きてちゃいけないのだという脅迫観念を抱えて暮らしていたことがよくわかる。

 

作品自体は滅茶苦茶打った鉄砲という感じで、思い起こせば担当さんは、なんとかこの棘を抜かずにどうにかする方法を模索してくれていたように思う。その時はわかってなかったけれど。

 

ヘンな顔だし、鈍臭いし、性格も悪い。と思う反面、自分がモデルさんみたいなことをやって、脚光を浴びて、人気者で、テキパキしてるようなシーンを空想して、空想の方が本物なんじゃないか?なんて自分を誤魔化す痛々しい毎日。

 


今にして思えば、良いところもあったんじゃなかろうかと思うのに、その時、等身大の自分の姿は、みすぼらしくて割れた破片だらけの燃えない粗大ゴミみたいに感じた。

 


ちなみに漫画の他の特技はビル掃除しかなかった。わたしにはこの二つしかなかった。ビル掃除は大好きだったのに、表彰されるまでやったのが原因で、手を痛めてしまった。この話はまた今度。


結局その江口洋介モドキの職場は二回で呼ばれなくなってしまった。わたしはT子ちゃんに意味がわからない敵意をいっぱい抱えながら、あまり成長のないネームを量産している途中、


ある日担当さんモドキがこういった。

「N田先生のとこの、T子さんだっけ、来月デビュー作が載りますよ」

 

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わたしは帰り道、ゲロみたいな感情をどうすることも出来ずに、初めてタバコを吸った。吸ったらクラクラして、ほんとに吐いてしまった。ここから禁煙が完了するまで、だいぶ長い年月がかかった。


翌月、S誌の別冊に掲載されたT子ちゃんの漫画は、あんまり面白くなくて、わたしはどうしてこんなつまらないのに先を越されたんだろう。世の中がおかしいんだ。顔がいいから贔屓されたんだ。そんなみっともないようなことばかり。グルグルグルグル巡らせた。


確かおもちゃが喋るような感じの話だったと思う。描き込みが細かくて綺麗な画面だったけど、線が硬いなぁとも思った。わたしは悔しくて悔しくて、そこから、と、とにかく個性では負けないような漫画を…!などとピントのズレた努力をすることになる。

 


そうこうしてるうち、恩師とも言える劇画の師匠のとこに配属されることになるんですが、劇画は元々好きだったし、この職場の空気は、わたしにあっていた。色んな事を教えてもらった。少しずつやれることが増えて行って、一年経たないうちに背景の指示が出せるようになった。


ある日のこと、〆切がハネて解散したあと、次の新人賞に出す漫画、アレ絶対笑えるよなぁ。今度こそ取るんだ…。とぼんやり白々と明け始めた空を見上げて、何故かT子ちゃんの事をふと思い出した。


チクチク痛む胸をこらえながら、どうしてあんなに憎たらしかったんだろう?という議題で一人会議が始まった。

 

(あの子はあの職場で、一番わたしに親切だったよなぁ…)

(別に悪いことなんか何にもされて、なかったよなぁ…)


(デビュー作、話も絵も、好きじゃなかったけど…)


(即掲載レベルってああいうのを言うような感じだったな)


(綺麗で、ちやほやされてて、羨ましくて…)


(ああ。)

(アレ…)

 

(嫉妬かぁ。)


その時は少しだけストンと落ち着いて、なーんだ恥ずかしいヤツだなぁ…。と思いながら帰って、一眠りの後、あ"〜!って悶えて、しばらく経ってからT子ちゃんに申し訳なかったな、と死にたくなった。上京して、2年ぐらい経ったあたりだった。


そのあとはというと、次の新人賞もまた落ちて、次の新人賞もまた落ちて、わたしは何歳までにデビューする。と親に宣言したギリギリの年にエロ漫画誌で8pのギャグだか何が何だかよくわからない漫画でとりあえずカタチだけ、デビューした。

そこから絵で食えるようになったあと、手を痛めて箸も握れなくなってしまった。

その話もまた何かの時にでも。

 

嫉妬というのは、いわれのないことで、勝手に恨むわけで。このもやには実体がない。気持ちの持ちようで、妬ましいは、羨ましいに。羨ましいは、リスペクトにつながるのになぁ。人生というのは悩ましい。

 

いまのわたしは…どうだろう?

 

わたしは、体が健康な人が妬ましいですし、羨ましいのだと、これを今のタイミングで書き上げて、そう思った。

 

 

みっともないわたしの話でした。

 

 

 

▼この記事を書いた人▼

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▼手を壊したその後の訓練の成果など。▼

mm404.hatenablog.com