ひよこ9.4切符!!

こちらは主に日常の話とノートの切れ端などをup。創作活動のPRなどは「まみの木荘3.20号室」に分けてあります。

ざんばらの膿。

何を書くかまとまらないまま、まとめようとせず書き出します。覚書のような更新。

 

 

 

 

「この裁ちバサミで一片でも髪を切ったら、きっと色々すっきりするんじゃないか?」


何故だかそんな衝動が、子どもの頃から根底にあった。散髪屋とかでなく、自分で、急に、テキトーに、バサっと、そこらへんのハサミで。

 


真っ黒のカタマリが胸につかえて困るような時は、髪を掴んでハサミをあてて、考えて、迷って、迷って、しばらくすると、怖くてハサミを置いてしまう。

 

わたしのSOSは、なんとなく横に置いておかれやすい。

 

いつも何かが美しくて、いつも何かに感動して、いつも何かにショックを受けて、いつも何かが悲しくて、いつもいつも泣いてるからだ。

 

「まみさんは敏感だから」まるでオオカミ少年扱いだ。しかしまぁしょうがないような気もする。

 


泣き叫んでしばらくすると、放出した分だけは楽になる。見上げたら空が綺麗だ。ちょっと自分が帰ってくる。空の話をし出すころには、周囲の人は(たったこれだけのことで泣いたり笑ったり、まみさんは大変だな…)というフォルダにぶち込む。

 

―――「鬱の人はものの美しさに気づかなくなる」世に言われる説だけど、じゃあわたしのは鬱じゃないのだろうか?色んな人がいるのに、症例が全部ひとくくりって、ヘンな話だ。

 

 

わからないなりに、さっきまで悲しかったのは、たいしたことじゃなかったんだ。「解答」のラベルを見つけて貼り付けて、心の棚の奥の奥にしまい込む「たいしたことのない悲しみ」と。

 

 

わたしの"怖い"は、人にとって「なんでそんなで?」

 

わたしの"苦しい"は人にとって「繊細()な人は大変だね…」

 

助けを求めても「気にしすぎなんじゃ?」と

 

 

前のエッセイにも書いたように、感性の化け物を束で体に突っ込まれて生まれて来たので、何もかも美しく、何もかも苦しく、何もかも恐ろしいように感じてしまうので、わたし自身も起こった出来事が世間一般でいうとどのぐらいの大変なことかいまいちわからない。

 

さっと判断して、すぐに対応出来るものと、そうでないものがあって、どっちが何かはよく分かってないような感じだ。

 


なので、困った時は「起こった事実だけ」を書き出していく。書き出してみて何日か置いた後、もう一回読んでも「これはさすがにおかしいだろう」と思う出来事で、本人に伝えても改善がなくて、人の介入が必要だ。と思う事柄は、周囲に助けを求めてみる。例えば「叩かれた」とか。他には「9時間なじられた」とか。

 


"9時間"の話は前の仕事相手の逸話なんだけど、この日に限った話ではなかった。会社に訴えても対応は薄く、改善されないうちに、判断能力は少しずつ低下していった。

 

友人に何度となく助けを求めていたのだけど、その友人がうちに原稿を手伝いに来た時、偶然その状態に遭遇するまで、ずっとなんとなく横に置いておかれた。

 


あとで泣きながら「ごめんね。まみすけは敏感だから、そんな大ごとじゃないんだろうって思ってたよ」と謝られた。

 

f:id:mm909:20171126094156j:imageわたしは薄ら寒いような気持ちで「死んだり、自傷する人というのは、きっと「大ごと」が起こってることを誰かに気づいて欲しくて、傷を軽視したことを反省させたいだけなんじゃなかろうか…」とぼんやりと思った。

 

 

いっぱい心の本を読んで、自傷は癖になる。という話も知っていた。髪を切ったらすっきりするんじゃなかろうか?という思いつきは、きっとこのカテゴリに入るやつなんだろうな、と。丸坊主にはなりたくなかった。

 


切らずとも、ハサミを髪に当てるだけで、なんか鬱漫画の主人公みたいで、カッコいいような気持ちになれるのは良かった。浸りながら我慢した。

 


だってこんなにたいしたことじゃないような扱いを受けて、それでこんなに心がびりびりに裂けちゃうぐらい悲しいなんて、自分がなんだか恥ずかしいし、9時間の話はほんとに大ごとだったけど、他の"悲しい"は、いわゆる"たいしたことのない話"だったから、せめて自分の中だけはカッコよく、大ごとみたいに思いたかった。


ほんとは「我慢した」というより、自傷する思い切りすらないのだろうなぁとも思った。

 

****


2ヶ月ほど前のこと。これはきっと"大ごと"なんだということが起きた。文意から外れてしまうので、何が起こったかは省くけど、悩んだ末、わたしは周囲に助けを求めた。

 

大変だ。怖かったね。そう言ってる割に、わたしが唐突に泣き出すことは理解出来ない。たまに笑うから、もう元気になった。大丈夫だ。と思うらしい。

 

 

事実だけとって冷静に考えても、たったこれっぽっちの時間で、この出来事が「もう大丈夫」になる人はいないと思うんだけど、一回笑うと「もう大丈夫」と横に置いておかれる。次に泣くと「なにかあったの?」に戻る。

 

 

ずっと泣いてないと、いけないのだろうか?それともこれもたいしたことがない話だったんだろうか?

 


わたしはとにかく、あったかくておいしいものがいっぱいあるとこに逃げなくては。と、混乱しながらも実家に帰った。実家はあったかくて、おいしいものがいっぱいあった。


一週間ほど実家であったまってるうちに落ち着いて来て、もう大丈夫だ、帰ろう、と。荷造りをして、靴下を履こうとして、急に混乱状態になった。目の前には、コルクの栓が足りなくて、コルクのコースターを切って代用品を作ったあとの、裁ちバサミが置いてあった。

 


フラフラと手に取り、そのまま髪に当てたら、切った後の想像が素晴らしく気持ち良いように感じた。

 


ヤバイなーともう1人の自分が、親に助けを求めに走る。助けてほしい。この今すぐハサミを取り上げてほしい。助けてほしい、と。

 


夜中だったし、しょうがなかった。親は寝ぼけながら、布団から半分、身を起こすだけだった。別に軽視したわけじゃない。意味はわかってたのに、わたしはついにジャキンと切ってしまった。

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構ってほしいだけなんだろうなぁ…と、もう1人の自分が冷めた目で発狂してる"わたし"を見下ろす。


かかりつけだった心理士は、もう退職されてて、この数年こういう話をしてなかったこと。新しい病院を探す憂鬱な旅が、また始まること。もうめんどくせぇから、消えちまえばいいんじゃないかな。そんなようなことを呆然と巡らす。

 


混乱の爆弾のようになってる方のわたしは、みんなに「繊細()だから」とSOSを軽視されがちだった人生を振り返り、そんな中「たいしたことのない悲しみ」と無意識にラベルを貼って、心の奥底、しまい込んで溜め込んで来た自分への怒りが、切った髪から噴き出して床に落ちて、蛇みたいにのたうちまわっていくのを感じていた。

 

 

切った髪から出て来た蛇は、真っ黒な膿で腹がパンパンだった。膿を絞ると、動かなくなって、子どもの頃から胸のとこでつかえてた"腫れ"がほんのちょっとひいたようだった。

 

 

これからもう1人の"わたし"といっぱい話し合わないといけない。

 

人はわたしじゃないのだから、わからなくて当然で、わたしの"悲しい"をわたしはもっともっと大切にしようよと。

 

 自分と人は同じじゃなくて、人と比べるものではなくて、わたしが「悲しくて怖かった」なら、それは紛れもなく「悲しくて怖かった」なんだろうと、何度も、何回でも思い出さないといけない。

 

 f:id:mm909:20171127173118j:image足元に散乱した、死んだ髪を眺めて、まずはこれを埋葬して、一歩進もう。と思った。

 

 

 

髪を実際切ってみたら、想像してたより全然カッコ悪かった。何がカッコ悪いって、みた感じだ。左だけ短いしハネる。思ってたのと違う。鬱漫画の主人公になるような人は、キェェって急に切るのもうまいのだな。と思った

 


紹介してもらった新しい心理士は、予約が3ヶ月先で、こりゃ違う病院を探さないとダメだなぁ。という感じだ。めんどくせぇなぁ。もう消えちまえばいいんじゃないだろうか、と思うんだけど

 

書きかけの小説を「完結させます」とお読みくださってる一握りの方々に宣言してるんで、書き終わるまでは必死になって生きる。

 

書き終わればもしかして何かが違ってるかもしれない。

 

 

結構気持ちがまとまったので、そのまま終わる。

 

 

 

 

 

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