ひよこ9.4切符!!

こちらは主に日常の話とノートの切れ端などをup。創作活動のPRなどは「まみの木荘3.20号室」に分けてあります。

わたしは結婚しない。

うまく伝わるように書けるか分からないのですが、いい加減にこの件について、一回文章にまとめておこうと思う。

 

まとめるだけなら日記にこっそり書いておけばいいじゃないか。と思う方もいらっしゃると思うんですが、そもそもこっちのブログはわたしの日記なのと、人に読まれるとこに書くというストレスが伴わないと、言語化できない悩みも多々あって、”この件”はアナログの日記につけても、まとめきれなかった代表格なのだ。

 

 

感情の化け物が体に棲んでいる。

わたしは、小さなことにすぐに気づいて、自分なりの「きれいだ」を表現したり、草花を愛で、日々過ごすだけで楽しいなぁと感じることが出来る”感受性”とかいうものを、神さまから束でもらってこの世界にやってきたんだろうなぁ。と、人から山ほどわたしの感受性の感想をいただいて、ようやく理解してきたとこなんだけど、

 

束でもらってるようなので、とにかく多すぎる。嬉しいも楽しいも感動も爆発レベルなら、悲しいも苦しいも悔しいも惨めも爆発レベルで感じるのだ、体が持たない。

f:id:mm909:20171025164209j:plain自分のことだけでなく、周りに悲しい人がいると、一緒に悲しいし、別に会話しなくても、街中で歩いてる人、電車の向かいのため息をついてる会社員さんを眺めてるだけですぐにそういう感情をもらってしまう。

 

最近フォロワさんに教えていただいたんですが、こういう能力はサイコパス(共感能力の欠如)の逆で、”共感能力過多”といって、エンパスとかエンパシーというくくりがあるそうで、名前は厨2病みたいでカッコいいですが、もうこれがほんとにつらい。

 

finder-site.com

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なんでこんなにゴミ箱みたいにあちこちの人から”苦しい”を捨てていかれるんだろう。と思う。勿論わたしが勝手にもらってるんだけど、渡してきた人はそのことに気づいてないので、感謝もされない。さすがにつらい。ただ人の負の感情をもらうのではなく、わたしが倒せたらまだいいのになぁ。と思う。

 

そして、こんな能力がある人ほど、感受性とかいうのも、化け物クラスで、悲しいとか、苦しいが巨大すぎて抱えきれずに暴れてだしてしまう。これから感受性とかいう美しい言葉で語れないような話をするので、”化け物”という呼び方にする。

 

いいとこももちろんあって、感じたことを物語に書きなおして伝えたり、細かく描写することが出来るし、人がうれしいとか幸せっていう時、一緒に喜ぶことがうまく出来てるそうで、物事というのは良い悪いあって、表裏一体なのだと思う。

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ただ、今回はネガティブな話をするので、悪いとこばかり触れていく。わたしは、まぁ最近風に言えばヤンデレってくくりに入るんじゃなかろうか、と思ってるんだけど、ここでやっと本題に入れる。

 

物語を書いてるヤツはどこのどいつだ!?

わたしはお話を書いてる時、その”化け物”を剥き身で体を覆ってるような状態になるようなので、たとえば書いてる途中に「これ、どこにあった?」とか日常会話を振られると、場合によってはモノを投げたり叫んで追い出したりしてしまう。同居人は最初これを喰らった時、わたしが何かに魂でも乗っ取られたのかと思ったというぐらいだ。

 

 

集中してるとこに「これ…」と割り込んでこられると「これ…」の音は頭が割れそうなぐらいの音量で感じるし、指でつつかれたとこは、刺されたレベルでガンと衝撃が走る。混乱して「攻撃された!」と思うのか、化け物があっさり狂暴化してしまう。

 

セカイの創造を邪魔するものは天誅を加えていい。という考え方なんだろう。とにかくひどい。完全に一人で書ける一戸建てとか、そういうのを用意出来れば違ってくるんだろうけど、とことん貧乏人と気が合うような性格なので、付き合う男性は、あまり部屋数が多い家に住めないような感じだ。

 

 

 

普段は結構抑え込めるので、遠くから私を見てるだけの人は「変わってる人…」ぐらいで把握してるようで、カッコよく言えば個性的とかそんな位置にいられるけど、物語を書いてる時だけは防ぎようがない。だってほかでもないこの“化け物”が物語のほとんどを書いてるからだ。

f:id:mm909:20171025164250j:imageあと、わたしは誰かと付き合う時「首の後ろを嗅いでみていい匂い」だったら付き合うんですが、そういう人は稀で、今まで長持ちしたのは2人しかいない。あとは「匂いが合わないので」といって一週間と経たずに断ってしまう。鼻もおかしなぐらいいいからだ。

 

70平米ぐらいの事務所なら誰が戻って来たか、見なくても嗅げば分かるぐらい鼻がいいので、同じ家に住むパートナーなら嗅いでて落ち着く匂いじゃないと持たない。無駄機能つらい。

 

これを読むとどうやら嗅覚は感情や記憶力と直結してるそうで、こいつも化け物の一部みたいだ。

www.siruhanote.jp

 

他にもあげればきりがないような感じなので、わたしは付き合い始める前、必ずこう宣言する「わたしは結婚もしない。子どもも産まない。それでもよければ」と。

 

わたしの”化け物”が人迷惑だからだ。わたしは小さな子ども達とはすぐにトモダチにはなれるけど、責任を持って育てることが出来るか?と自問自答すると、答えはNOで、毒親街道をぶっちぎるに決まっている。お母さんが締め切りの度に豹変するなんて怖すぎる。

 

産めば変わるよ。だとかそういう無責任な事を言って、産ませようとしてくる人もいて、じゃあお前が逆立ちして産めよ。と言いたい。責任を負えるかどうかは、わたしが決めることなのに、押し付けてくる。

 

付き合ってる途中も、何度も結婚しない旨も伝えるし、相手が婚期をのがすといけないので、何度も"わたし"から逃がそうとする。こんなに話しあっても「一緒に暮らそう」という話をしてくる人に関しては、自己責任なので、もうしょうがない。今の同居人をパートナーとかいう呼び方をしてない理由はそんなとこだったりする。

 

同居人にもあれこれと問題があって、わたしたちの大ゲンカは取っ組み合いの子供の喧嘩だ。ただ、それ以外に、いい匂いで、気が合う所も多くて、とにかくずっと嗅いでいたい匂いがするので同居している。

 

 

喧嘩して離れたり、また匂いを嗅ぎに戻ったり、1年の4分の1は血みどろの喧嘩をして過ごすけど、あとの4分の3は楽しい。ただその4分の1がほぼ命がけになってしまう。誰かと一緒にいれるのは楽しくて、つい化け物が棲んでることを忘れてしまう。

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このまま幸せに…なんて何回もよぎる。しかし”化け物”はわたしに張り付いて、一生出ていかないつもりみたいだ。というか、きっとこっちが本体なのだろうと思う。なんでてめぇは人里に下りてきてるんだよ。山に帰れよ。

 

なのでわたし自身の恋愛の話は、わたしが作中描くカップルのように幸せいっぱいというわけではなく。身を切るような苦しさが付きまとう。

 

合わせる気がないというより、合わせきれないのだ。例えば鼻がよすぎてつらいとこを変えたいなら、マスクをかけよう、というのが、出来る範囲で変わる努力かなぁ?と思うんですが、正直鼻がよすぎるとマスクを貫通してくるんで、じゃあ鼻を潰せ。とか息をするな。というような感じだ。

 

感じ方の大小あれど、こういう過敏な性格で苦しんでる方も、また理解されずに苦しんでる方も多いと思う。

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どうやっても小さなことがとんでもなく大仰に、一瞬でも創作の邪魔をする人はみな、わたしを殺しに来る人のように感じる。変える努力もして、本もたくさん読んで、どうすれば混乱せずに済むか、何度向き合えば化け物と仲良くなれるかわからない。

 

創作と結婚とか創作と子育てとか、そういうのを何回も何回も心の中で、天秤にかける。そうすると、わたしは仙界で一人で書いてた方がいいんだなぁ。という結論になる。創作はわたしのアイデンティティであり、唯一の得意な事であり、楽しい事であり、わたしにとっての”これしかない”なのだ。

 

だから、わたしは結婚しない。何故かというと、モノを書くと、人の胸を打てるかもしれない。人の心のうるおいを創れるかもしれない。けれど、誰かとずっと一緒にいるとわたしは人迷惑だからだ。

 

 

一応半分はまとまったので、前向きでもなんでもなく、そのまんまの気持ちで終わる。

 

 ▼この記事を書いた悩み多き人▼

mm9.hatenablog.com